誰かの心に寄りそって

最低だった自分への戒め、心の傷、僅かな楽しみを綴っていきます。

生きるということ

大人になって気付いた。

大人なんて居ないということ。

大人とか子どもとかじゃなくて、

理性が強いか弱いか、頭が良いか悪いか、

性格が良いか悪いか、の違いだと思う。

子どもは大人が思ってるほど幼くもないし単純でもない。

大人は子どもが思ってるほど達観してないし悟ってもない。

学校の先生たちの年齢に近づいて気付いた、

先生たちも私たちの延長だったんだと。

どこかの地点でガラっと大人になったんじゃない。

子どもの心を残したまま、社会の中で求められることに応えながら生きているんだ。

経験から知識と想像力と思慮を得てきたんだ。

あえて大人か子どもかと言うなら、

その経験が身になっているかなっていないか、それを活かして他人を思いやれるか思いやれないか、クソを扱えるか扱えないか、の違いなのではないかと思う。

かくいう私はというと、経験は身にはなっているけど、活かすのはまだこれから。

今までたくさん失敗をした。

他人と自分の醜さを受け入れない限り、人生の道は歩けない。

何より、他人に期待しない。

職場で涼しい顔で生きやすそうにしていた人は他人に期待していなかった。

難しいけど、正解だと思う。

期待して一生懸命やっても辛いだけ。

そりゃ生きづらくて当然。

心に波風を立てない。

見ざる言わざる聞かざる。これ大正解。

小さい頃に聞いた諺の意味が、人生の歩を進めるごとに身に沁みてくる。

昭和も江戸も平安時代も、人間の考えることは同じだったんだろう。

そりゃ同じだわ。みんな同じ魂で転生を繰り返してるんだから。

子どもとお年寄りは魂の純度が高いと思う。

あの世から出てきて間もない時期と、間もなくあの世に帰る時期たから、

魂が天界に近い状態。

一番純度が低いのは中年だと思う。

個人差はあると思うけど。

純度が高い人ほど生きづらいよね。

そんな人たちが生きやすい世界ができればいいな。

私を含めて。